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 あの人は今  Osako Yoshiaki  2026年2月9日(月) 10:56
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深夜特急年末から正月三が日、友人から贈られた沢木耕太郎の「深夜特急」と「旅する力」を読んだ。この二冊を読んだのはいつだったか記憶は定かではないが二度目だった。風呂から上がりに、居間のテレビから中近東の砂漠を爆走する砂で汚れた切った中古バスがちらっと見えた。それは「深夜特急」だった。アメリカ映画「ミッドナイト・エクスプレス」はすでに見ていたので、最初は「深夜特急」も同じようなストーリかと思っていたが、主人公が香港からロンドンまでバスを乗り継いで旅をする物語だった。「深夜特急」はフィクションであるが「ミドナイト・・・・」は実話である。トルコで米国人旅行者が麻薬を密輸しようとして捕まり、四年の刑が裁判のやり直しで30年の刑期に伸び、彼は「深夜特急=脱獄」を図る。恐ろしく、そして面白く、私には忘れられない名画の一本である。私は年金生活が近づいてきたころ、退職したら暇つぶしとボケ防止を兼ね、何をしようかとあれこれ考えていた。我々、太平洋戦争前後生まれの世代は歌謡曲や演歌が好きであるが、私はあまり好きではない。私は留学中、出来る限り早く英語のヒアリングを早く取得するため、葡萄畑や墓で働きながら携帯ラジオ(トランジェスターラジオ)をよく聴いていた。ジョン・バイズやボブ・ディランなどの曲もよく流れていたので聴いた。1968年12月、4年5か月ぶりに帰国すると、吉田拓郎、南こうせつ(かぐや姫)、伊勢正三などのフォーク・ソング全盛時代であった。彼らの「旅の宿」、「結婚しようよ」、「夏休み」、「神田川」、「なごり雪」などの曲は私の感性に合っていたのか好きだった。年金生活が始まったら彼らの曲を弾こうとギター教室へ通い、航空会社勤めで海外外旅行もよくした。年金を貰い始めたある日、「あなたの経験」という懸賞募集を知った。1960年代、アメリカが激動したアメリカを体感した私は、それまで原稿用紙一枚も書いたこともなかったが私はワードプロセッサに向かい書き始めた。すでに米国留学から40数年経過していたが、100ドルを懐の留学した米国での経験は私に忘れることのできない強烈なインパクトを残していた。今では当たり前のようなアメリカでの日々の出来事が、まるで昨日のことのようにワードプロセッサのキーを通じ印字されていった。だが書きたいと思っていた米国の黒人暴動、キング牧師の公民権運動、ロバート・ケネディ暗殺、ベトナム戦争、学生の反戦運動,ヒッピーの出現などアメリカ社会が抱えていた諸々の問題の知識に私は疎く思うような文章にならなかった。まだパソコンは普及過程で私は持っておらず、資料集めに図書館へ通い、必要な資料を図書館でコピーしてもらい、それを持ち帰りワードプロセッサに打ち込むという作業の日々であった。ギターは10年習ったが、年一回の発表会で弾くだけでものにならなかった。海外旅行はほとんど毎年夏になるとスイスのツェルマットへ行った。スイスは世界一物価の高いし、国そのものを理解するには、ちょっとむつかしい国であった。しかし、私の脳裏に半世紀前のバイクで旅した中でも最も思い出深いでもあった。場所の一つであったし、世界一素晴らしい風景がスイスを囲み、好きな場所であったがもう飽きた。激動のアメリカを書けないのならバイク世界一周旅行しか私には書くネタがなかった。私なりに四苦八苦して書き上げ初めて応募した作品『カルフォルニア’60年代の記憶を訪ねて』はバイクで世界一周の旅へ出発するところで終えた。私が旅に使用したバイクは単に交通機関として利用しただけで、バイク旅行など金と暇があれば誰でもできる旅だと思っていたので、バイク旅行のことは書かなかった。この最初の作品は二次通過で自費出版して友人知人にタダで配ったところ、「バイク旅行のところが読みたい」という要望がほとんどだった。私の好きな著名な作家「深夜特急」の沢木耕太郎さえ「バスを使っての旅」を書いているのだからと自分を納得させて、次の作品「人生の途中下車」にバイク旅行の部分を書き加え再び応募したら330篇中、8位に入った。東ベルリンで東ドイツ軍に一時的に拘留され、アフガニスタンでは強盗に逢ったがバイク世界一周旅行してから58年が過ぎていた。だがタイトルが良くなかったのか反応は皆無に近かった。そこで、タイトルを「1968年のバイク世界一周旅行」に変えFacebookであげますと呼びかけたらあっという間になくなった。人間にはその数だけ生き方があるので、他人の生き方をどうこう言う権利はないが、旅の途中、何を観てどう感じ、その後の人生にその経験を活かし生きることが大事であるように思う。私は世界何十万キロ、何百か国走破などの記録には興味ない。面白くもおかしくもない。それでは使ったお金がもったいないような気がする。世界を観ることは就活に有利とバイクで世界旅行に出たが、それがスポンサーなし、自費で世界一周した最初のライダーと言われ、意識してやったことではないが・・・・・・・・・人生は面白いものである。


 夢野台高校親蔦会電波研究部の部会開催  河村 浩司(y26 )  2026年1月18日(日) 9:39
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2026年1月17日 電研OB 8名で 部会を開催
JA3YUPの開局の報告と今後の活動方針について
情報交換を行った。
2か月に1回ぐらいで部会を開催し、勉強会をしたり
情報交換をすることで活動を開始する。
夢野台高校関係者であれば OB及び現役生徒であれば
誰でも参加が可能な部として活動します
アマチュア無線の運用(音声 画像 文字 人工衛星通信など)
アマチュア無線の資格取得サポート
パソコンのOSのバージョンアップ講習会
パソコンでのプログラム開発手順の講習会
その他電気関連のインターフェースなど

夢野台高校のOB 現役生徒 であればだれでも参加ができ
交流ができる部として活動していきたいと考えております
新たな交流を通じて、人と人のつながりを広げていき
情報交換することでお互いに成長していけたらと考えており
ますので、親蔦会事務局まで興味のある方は是非ご連絡いただければと思います

 無題  胎内90卒  2026年1月11日(日) 23:00
修正
近々死かホームレスの可能性が本当に出てきました。 というのは、昨年悪い事(全て自己責任なのは承知)が立て続けに起こり、その後元々抱えていた病的なとあるこだわりがかなり悪化し、死の一歩手前までいきました。

かろうじて死は免れましたが、、、

そして、今回も仕事がうまくいかずかなり怒られている・悲しい事件事故でメンタルが悪化し希死念慮が酷くなる・鼻風邪で苦しむ・洗濯物を晴れてる日に干していたらその後雪が降り帰宅後洗い直すハメになる、などの悪運が重なっています。自業自得なのは承知です。

そして、昨年同様また大きな問題が直後に降りかかり、昨年は死をかろうじて回避できたものの、今度は死か全て失ってホームレスになる可能性が出てきました。

もう、どう足掻いても駄目だ、、、

   胎内90卒  2026年1月6日(火) 21:54
修正
今後の自分の全ての運命(自分の思考やメンタルなどといった内面の事も含む)がどうなるか不安で不安で不安でたまらない。どうしよう。

 夢野台高校親蔦会電波研究部 50年ぶり復活  河村 浩司(y26 電波研究部)  2025年11月22日(土) 10:57
修正
2025年11月13日に JA3YUPでクラブ局が総務省により
無線局の免許が交付され認可されました
夢野台高校電波研究部の24回以下OB10人により復活しました
アマチュア無線の運用及び資格取得のサポート
パソコンなどの技術的サポートやプログラム開発など
を中心に活動を開始しました
現役生徒をはじめOBでアマチュア無線や電気関係
パソコン関係で興味のある方は、時間のある時に
親蔦会の事務所までご連絡いただければと思います
大手企業で開発の業務の経験者や公務員経験者 現役の医師
など豊富な経験を持った方々が、在籍しています 
気軽に問い合わせをいただければと思います

 復活、おめでとうございます!  山本文昭(Y34)  2025年12月29日(月) 23:37 修正
懐かしいコールサイン!何回か失効しながら、夢高時代のコールサインJI3DEVで局免を維持しています。

 終  胎内90卒  2025年12月17日(水) 20:35
修正
もう、本当に心身共もはやここまで。

人生、最終章の終盤にいる。

あの世からのお迎えが近い。

END

   胎内90卒  2025年12月16日(火) 22:43
修正
アスペルガー精神3級です。

ここ最近長引く体調不良等のせいか、ただでさえ色々問題抱えてネガティブなのに更にネガティブになっています。 (常日頃から通院・風邪や喘息の薬服用・心理療法等で改善は図ってます)

そして、自然と視界に入る辛いニュースや人から聞いた悲しい話、たまたま目にした戸塚ヨットスクールの暴論(発達障害が多い日本は○○がい大国)、一部の思考の偏りや認知の歪みの退化、友人との会話における政治思想価値観相違による精神不安定等で益々負のスパイラルに陥っています。

数年前にもこのような状態に陥って教えてgooに相談したら袋叩きにあい、その後改善はしましたが袋叩きについては未だに心の傷になっています。

しかも世間では戸塚ヨットスクール思想ややまゆりえん犯人の思想が正しいとされているのに、これらに賛同出来ない自分は人間として終わってる。

かなり前に「New引きこもり掲示板」でとある方に戸塚ヨットスクール思想に賛同できないお前は悪だみたいな事を散々言われてかなり精神不安定になったし、掲示板ミクルも戸塚ヨットスクール思想賛同者だらけだったから、これらの人達にリンチ殺人されたら本望なのかもしれないと本当に思ってしまいます。

尚、戸塚ヨットスクールは入った事はないですが、子供の頃の親からの脅しが原因になって未だに尾を引いています。親は何度も謝罪していますが、、、。これも数年前にとくっちで相談したら発達障害の貴方が悪いと袋叩きにされました。

もう○にたいです。
どうしたらいいか全く分からない、、、。
限界は超えている、、、。
助けて、、、。

 26回 1年6組 永田学級 2025年忘年会  河村 浩司(y26 )  2025年12月14日(日) 10:52
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26回 1年6組 永田学級 2025年忘年会

2025年12月13日(土) 17:00から
京鼎樓ミント神戸店(ジンディンロウ)で 10名参加で
開催しました。永田先生も91歳になられ 益々お元気で
ダンディでした。学生時代の入学式からオリエンテーション
8月の学習合宿 遠足など 貴重な写真を永田先生に
持ってきていただき 懐かしく拝見いたしました
個人毎に写真を切り抜かれ 50年以上前の
それぞれの生徒の写真がアルバムに整理されていました
今回 その貴重な写真のアルバムを引き剥がして
持ってきていただきました。これをデータ化して
メンバーが見られるように編集したいと思います。
また 全員にあたるように景品を用意していただき
あみだくじで盛り上がりました。
今回参加できなかった方も次回参加できる日程や時間を
調整して この会を細く長く 続けていきたいと思います 

 夢野台高校創立100周年周年記念祝賀会  Osako Yoshiaki  2025年9月22日(月) 15:22
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母校創立100周年記念祝賀会おめでとうございます。

 競争の激しい芸能界でご活躍中の「さゆり」様がご参加されるとことを知り、会場の遥か彼方の隅から爽やかな、気持ちの良いお姿をご拝見させて戴くことを楽しみにしておりましたが、当日は突然個人的事情で、母校の100年記念祝賀会に出席できなくなり,さゆり様のさわやかな御姿とお声に接することが出来なくなり実に残念です。
 
 地球の年令約50億年に比べ、人間の寿命も長くなったとは言え、たかが約100年プラス・アルファの数年です。その短い一生をどのように過ごすかは、OB皆さま方の日々の生き方と思います。
 私は1962年、留年宣告を受け、担任教授に土下座して卒業、やっと、悪戦苦闘の末 海外旅行社に入社しましたが入社後2年間、私の仕事は先輩や同僚社員の補助的フォローと雑用が主な仕事で、将来に対する夢も希望もない絶望的なサラリーマン生活の日々でた。

 今の日本では信じられないような話ですが、敗戦後の1963年までの日本は外貨不足で業務、留学・移住以外、パスポートも申請取得もできず、一般日本人の観光海外旅行は不可能で、
 一般日本人は、ただパンアメリカン航空の提供するテレビ番組「兼高かおる世界の旅」を観て憂さ晴らしするしかない時代でした。

 ところが1964年4月、「海外渡航自由化」になりました。
「海外渡航自由化」は私にとっては神風となり、これからは飛行機で外国を旅する時代になると確信、航空会社で働く夢が芽生え、自分の人生を無駄にしたくないとする熱い想いが、青春の私の体内で急劇に拍車をかけ始めました。

 そして航空会社で働くには、英語と世界の旧所名跡をできるだけ多くの観ることが必須であると考え外務省私費留学試験を受け(留学は外務省の実施する試験合格が条件でした)、1964年7月LAまでのone way ticketと$100を懐に親の反対も振り切り、米国大学へ留学、生きているものは容赦なく総て焼き尽くすような暑い中部カルフォルニア中部の葡萄畑で夏の間働きました。
 そこはスタインベックの「怒りの葡萄」や「エデンの東」の舞台になった広大なブドウ畑の小さな町でした。その後、私はロサンゼルスで「庭師のヘルパー」や「掘ると油の滲み出る広大な墓地」で働きながら、英語学校から大学へ進みました。

 当時、「海外渡航自由化」の影響で西海岸を訪れる日本人観光客の増加で現地航空会社は日本語のできる日本人留学生の採用を始めました。私も応募しましたが学生ビザのため採用されず、仕方なく帰国して日本で航空会社へ就活することにしまた。
 そのためには、出来るだけ多く世界の名所旧跡を観て帰国した方が、航空会社の就活に有利と判断、旅費と利便性を考慮、バイクを購入し世界一周旅行することにしました。

 ある週末の夜、偶然、私の働いていた葡萄園の近くで働いたあの著名な冒険家植村直己と葡萄園の町の酒場のトイレで偶然逢い又有名な建築家安藤忠雄にはパリのエッフェル塔の下のベンチで昼寝している時起こされお互いの将来について10分ほど語り合いました。二人は同年輩で関西人、私の人生に役立っています。
 

 即、大学を辞め、時間の許す働き限り働き約$3、000(1967年当時のレートで108万円)を貯め、1968年5月19日、ロサンジェルスから『怒りの葡萄』(スタインベック)に描かれたルート66を東へ向け走りだしました。
 
Facebookの【Osako Yoshiaki]を見て頂ければ写真や経験など書いています。





 久しぶりです  10回生  2025年7月7日(月) 10:29
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今年は母校の100年祭。
そのその時代を過ごした夢高時代の思い出を
聞かせ願いませんか?

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