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■ 同窓会に思うこと/第23回生(三年一組)菅 敏喜さんからの投稿 2017.10.18

 今年も同窓会に出席してきました。期待に違わず楽しい一時で、新しい発見や出会いがありました。
 60歳を超えてからの同窓会は、各人考えが違い、それぞれの捉え方があるでしょう。本文は私の捉え方をご披露するために認めました。
 参加されている方にとって、その楽しさを説明するのは釈迦に説法ですので、不参加の方に楽しさを伝えるために最初にその楽しさ少し述べてみます。

●楽しさ
 高校卒業以来の再会なので約45年振りになります。「相手の顔が分かるやろか」とか「私のことを覚えてくれてるやろか」などの心配がありますが、当時と同じように「おー久し振り、元気?」の一言ですーっと入っていけます。
 その風貌は、よくもまあこんなに劇的に変化できるものだと感心しきりですが、辛抱して少しばかり話していると、ちょっとした表情や仕草は当時と全く変わっていない事に気付きます。更に話が弾み、当時の思い出話になると、その内容はしょうもないことですがデフォルメして話されるので、もうダメ、今まで気取っていた態度や表情はすーっと消えて、高校生の私たちが戻ってくるのです。本物のタイムマシーンは存在しませんが、精神的には確実にタイムスリップしています。
 同窓会が進んでくると、厚かましくも名札を見ながら「顔は分からんけど誰やったかいな」と近づいて行き話の輪が広がります。当時、話をしたこともなかった人とも平気で話ができるのです。友達になりたかったが恥ずかしかったからとか機会が無くて言えなかったと素直に言えるようになります。「なーんや、そんな風に見とったんか、声かけてくれたらよかったのに」という塩梅にお近づきになれるのです。
 私の拙い説明より、ぜひ一度ご自身で体験されることをお勧めします。

●何のために
 そんな楽しい同窓会ですが、単に楽しむだけではなく、その役割を考えてみると大変有意義な効果があるのです。
これから我々は高齢化していくことは間違いなく、その状況は個人差があると思いますが、会社を定年退職したり子供たちが独立して子育てから解放され、社会とのつながりも薄弱になり、無意識にではありますが何かにつけて思い込みが強くなり、独りよがりになり心が狭くなっている自分に気が付きます。この状態が常態化すると、頑固で周囲との協調性を失い次第に孤立していき、病的になると認知症が始まるのです。
 一方では、高齢化による認知症の傾向は避けられない事ではありますが、少しでも軽減して、周囲に迷惑を掛けずに楽しく過ごせればいいですよね。
 この状況を和らげるには、本や新聞を読んだり、映画を見たり、趣味のサークルに参加したりして周囲の人と接するなどいろいろな方法があるでしょうが、大切なのは頭を使い、口や手足を動かし周囲や社会に関心を持つことではないでしょうか。つまり、コミュニケーション能力を保つことです。その具体的な方法の一つとして同窓会への参加という選択を取ってみればいいのではないでしょうか。

●なぜ同窓会?
 私達は歳を重ねると知恵と警戒心がついてきて、一番気が許せるのは身内の人達でしょう。お金のことや身体のことを話せるのは、その人達が一番いいに決まっています。しかし、ことコミュニケーションということについて考えてみれば身内の人だけでは満足できません。
 用事があるときは「おう、うん、それ、何」単語だけで十分に通じるし、長年ともに生活していると考えていることも、リアクションも判ってしまい新鮮味がありません。そんな関係では新しい情報など入って来難くくなっていることでしょう。さりとて、今更、見ず知らずの人の輪に入っていくのも億劫で、新たに人間関係を築いていくのも煩わしく感じられます。
 そこで、同窓会という機会を利用するのです。ほとんど人とは大人になってからの関係はありませんが、一緒に青春時代を過ごした思い出があります。若かった自分たちをお互いに知っているし、幼い人間関係を持った貴重な仲間達です。そして、最大のメリットはそれぞれが違う人生を歩んで互いに知らない世界を経験していることです。同窓会に参加した人の数だけ新鮮なお話が聞けるのです。

●出席する。
 同窓会に出席するには、あれやこれやと思いを巡らせて心の準備をしたり、時にはアルバムを捲ったり、思い出の品を引っ張り出して来たりして体を動かします。また、誘い合わせていくために友達の電話番号を調べたりメールしたり手紙を書いたりと連絡を取り合う必要があるかも知れません。また、お洒落していくために着ていくものをいろいろと検討するのも楽しいものですよね。自ずと頭や口や手足を使わざるを得なくなります。また、周囲の人や子供たちにも「今度、同窓会に行くねん」と話したくなり、そのことで会話も弾むでしょう。まるで現役時代の心の忙しさが戻ってきたようです。
 同窓会では、幾ら、かつての旧友が相手とはいっても、不躾な質問や態度は憚れるのでそれなりに気を使って話もするでしょう。つまり、今までに培ってきたコミュニケーション能力の見せ所となるのです。時には調子に乗って少しの失敗もするでしょうが、そんなことは恐れることはないのです。旧友のことですから「何言ってんねん。あほ」と許してくれるでしょう。その失敗は自分を成長させ、コミュニケーション能力を高める絶好の機会です。
 同窓会は頻繁には行われないので、べたべたした付き合いはなく、嫌になったり都合が悪ければ、欠席してもちっとも構わないのです。欠席しても責任が生じたり迷惑を掛けることはないのですから。でも友達は「どないしたんやろ、病気でもしたんかなあ」と心配はします。

●私は思う
 二年に一回会って喋るだけで、元気が貰えるし人の話を聞いているうちに今の自分にできること、やりたいことが見つかり新たなコミュニケーションが生まれるので、おちおち、老け込んでいられない状況になります。
 私は、同窓会をそんな風に捉え、これからも死ぬまで参加していこうと思っています。

    平成29年10月13日・記