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■ 故白井名誉会長の第22回卒業式『祝辞』のテキスト版 (第23回生 菅さんの投稿)2014. 7.10

故白井名誉会長の第22回卒業式『祝辞音声』を、第23回生の菅さんが文字起こしされました。今回「テキスト」として提供いただきましたので、会員からの「投稿」として掲載いたします。有難うございました。(親蔦会事務局)




***********故白井名誉会長の第22回卒業式『祝辞』のテキスト版***********

祝辞

梅の蕾もようやくほころび初める本日ここに、卒業を迎えられました卒業生の皆様、おめでとうございます。
皆様は未来に生きる存在です。
皆様の目は未来への可能性の中に自らの生きるべき道を求め、自分たちによって担われるべき明日の日本を世界を見つめていられます。
そして今、日本の高校の中には未来に生きる存在としての高校生を取り巻く現実について、もう一度根底からその意味を問い返そうとする動きのあることを聞いています。
卒業式というものについても検討が加えられたと聞いています。
卒業式、卒業証書それはいったいどういう意味を持っているものでしょうか。
こんにち、日本の一部では学歴の無用論が説かれ、一部の会社の履歴書には学歴の記入欄がないということです。
しかし、これは学問を否定することでも教養を否定することでもなく、学歴というレッテルの尊重を否定し、その人の身につけた力、中身を重要視するということと思います。
皆さんが本日お受けになられた卒業証書は、皆さんが立派に高校の課程を修了された、すなわち、高校教育の中身を習得された印として与えられたものです。
そうした力を身につけて卒業された皆さんが、将来にその力を生かされることを期待して、心からおめでとうを申し上げるのがこの卒業式に他なりません。
そして、皆様にとっては、卒業式は今日を迎えられた喜びの背後にあって、皆様を支えられた力、ご両親、先生方、社会の恩恵に充分心を寄せられる時であろうと思います。
昨年、人間はついに地球以外の別の天体に足跡を残しました。私どもは、地球人の一人として地球人の三人が無事に生還されることを心より祈りました。
この時、私どもは地球人としての意識を持ったと思いますが、この点、今日の科学の進歩に私どもの意識が追いつかなければならないと思います。
もう、後半月ばかりで開かれる万国博覧会は人類の「進歩と調和」というテーマを掲げています。
進歩と調和のバランスがうまくとれていることが、人類の真実の幸福であるということと思います。
過去、一世紀の間、日本は西欧の先進国に追い付き、追い越すことを目標にして必死に頑張ってまいりました。
日本人の勤勉さと教育水準の高さは国民総生産世界第2位という日本経済の高度成長を成功させましたが、70年代を迎えた今日、先を急ぐあまり疎かにしてきた人間性の回復が叫ばれてきました。と同時に教育の問題が取り上げられるようになりました。
前日来日したサセックス大学の教授は、その討論会でイギリスのオックスフォードやケンブリッジ大学では、生まれながら支配者となるべき人の教育を行ない、支配者としてふさわしい人格を備えさせることがその教育の目的とされました。
ちょうど、日本の徳川時代の藩の学校が武士階級の人に武士として相応しい人間教育を行なってきたのと似ています。
それに対して、今の大学は地位を得る手段として功利主義的な性格を帯びてきた、大学は社会の進歩にどれだけ貢献し、個人に何を与えるかということに価値が問われるのですが、ひっきょう教育の目標は良い人間を目指すことでなければならないと述べておられました。
教育の最初にして最終の目標は人間を作ること、心を育てることでなければならないと思われます。
しかし、学生を取り巻く現代日本の社会を見る時、その中に断層があることが指摘されます。学者の中にも政治家の中にも労働者の中にも一つのグループともう一つのグループとの間に断層があるということです。
我々の目から見れば断層の幅は広く、どうしようもないものに見えますが、あるいは、高い広い視野から見れば断層の幅は案外狭いものであるかもしれないと思ったりします。
とにかく、その断層を埋めて、よりよい方向へまとめて行くことが今日の課題とおもわれ、それにはお互いの人間への信頼が掛かっていると言えます。
今日、世界でもまた純粋な人間性をよりどころとした新しい世界の建設を目指していることとは思われますが、過渡期の苦悩に喘いでいます。
ユネスコ憲章にあるように、戦争も平和も人の心から起こるので平和な世界をつくるためにはまず自分の心が平和でなければなりません。
1913年、東洋で初めてノーベル文学賞を受けたベンガルルネッサンスの詩人タゴールは、物欲にとらわれることを蔑視して、あくまで人格の統一とその魂の平和とおだやかさを思慕する東洋の知恵を信じ、日本を愛して三回も来日し、近代日本の歩みに大きな感嘆を寄せる一方、日本の生き方が単に西欧近代の一面にすぎない物質的侵略的文明のみを模倣して、古い東洋の伝統に背くことに深い憂慮を感じた人でした。
そうしたタゴールの愛した東洋の知恵を思い、美しい自然と日本人の心の一つに溶け合った心境が日本の心だ、と話された川端康成のノーベル文学賞受賞記念講演の「美しい日本の私」に述べられた心を思いながらそこに今日私どもが求めているものがあるのではないかと思います。
私どもの生きがいをどこに求めるのか、生きるという生命の価値をどこに求めるのか動物的な生命か人間的な生命か、あるいはその上の哲学的な生命か、それに対する答えがここに求められるのではないでしょうか。
「山路来て なにやらゆかし すみれ草」路傍のすみれの花に寄せる優しい心に、そのゆとりの中に、私どもは日々の幸せを見つけていく日本的な心の目を開きたいと思います。70年に始まり21世紀へ目指す道は、あなた方の建設する道であり、あなた方の歩まれる道です。
世界の中の日本として世界に役立つ日本にするために日本の果たす役割は何なのか、その日本の中の一人として具体的に自分がどういう形でそれに参加するのかと言うことに理想を求めて、努力を続けていただきたいと思います。
物質文明の進歩と心の調和の中に皆さんの輝かしい明日を期待したいと思います。
どうかお元気でご活躍ください。
以上、まことに粗辞ながら同窓会を代表しましての祝辞とし、合わせて同窓会員歓迎の言葉といたします。

昭和45年2月25日
兵庫県立夢野台高等学校同窓会親蔦会長
白井 喜美子

***********故白井名誉会長の第22回卒業式『祝辞』のテキスト版***********